工業のあらまし
問い合わせ番号:10010-0000-1170 登録日:2021年7月13日
秦野市の工業のあらまし
秦野の工業は、明治の初期まではきざみたばこの家内工業が中心でしたが、明治20年、石原重太郎によって水車が動力に使用されると工場制工業として飛躍的な発展を遂げました。
明治37年にたばこ製造が官営に移されると、きざみたばこに代わって、江戸時代から自家用に織っていた秦野木綿と称する綿織物の製織業が盛んになり、昭和初期の織機台数は1万50台を数え、年産額100万円を超えました。しかし、第二次世界大戦を境に漸減しました。
こうした中、昭和30年の市制施行を機会に、工場、事業所などを誘致し、新市の産業発展と興隆を図る目的で昭和31年「秦野市工場設置等奨励に関する条例」(昭和36年廃止)を制定し、工場誘致を図りました。
この工場誘致は、秦野盆地中央部に位置する曽屋、戸川、堀山下、平沢にまたがる約1,175haの広大な平坦地に「きれいな水と空気」を守れる公害のない工場を条件として、労働力と地下水の豊富さ、衛星都市としての交通の便に恵まれた立地条件により、条例が廃止されるまでに23社の企業が進出し成果を収めました。また、昭和38年には西秦野町が合併し、より一層事業所などの進出が行われ、神奈川県の内陸工業地域として発展し、東京、横浜への通勤圏内によるベッドタウン化とあいまって、急激な人口増加を遂げました。
その後、昭和56年には東名高速道路秦野中井インターチェンジが開設され、交通利便性が飛躍的に向上し、市内への産業立地が加速化しました。また、「秦野テクノパーク構想」に基づき、平成2年に堀山下地区に工業用地約24ha(堀山下テクノパーク)の整備を完了し、先端技術系工業を主体とした企業6社の誘致を図りました。さらに、既存工業の近代化・体質強化と住工混在の解消を図るため、平成8年に平沢地区において工業用地約7ha(平沢工業団地)を整備し、企業11社の移転などを進めました。
今世紀に入ってからは、平成15年3月に秦野中井インターチェンジに近接する西大竹・尾尻地区の土地区画整理事業区域内に工業団地約2.6ha(東名秦野テクノパーク)を整備し、主に研究開発型産業施設の誘致に取り組むとともに、市外からの企業誘致と市内既存企業の市内再投資を促進するため、平成16年4月に「秦野市企業等の立地の促進に関する条例」を施行し、平成20年11月には施設再整備も対象とした「秦野市企業等の立地及び施設再整備の支援に関する条例」に改正しました。
現在、秦野市の工業は、電子部品、情報機器、輸送機、電機といった業種が大きな比重を占めていますが、更なる高付加価値化と業種の多様化をめざし、秦野の自然環境と調和した活力ある工業の振興に努めています。
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