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蓑毛大日堂仁王門二王像調査報告書

問い合わせ番号:10010-0000-2217 登録日:2014年2月27日

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調査日

  • 平成20年2月5日

内容

  • 木造二王立像 二躯。

[法量]

 注:単位はセンチ。概寸。

  • (阿形) 像高(除髻)二六八.〇
  • (吽形) 像高(除髻)二七〇.〇  

[形状・構造]

 阿吽一対の像。向かって右に阿形、左に吽形を配する。両像とも上半身裸形で下半身に裳(も)を着ける。

 阿形は腰をやや捻って、顔をやや右に向け開口怒号し、金剛杵を握る左腕を屈臂(くっぴ)して振り上げ、右手は掌(てのひら)を下に向けて突き下げる。脚を開いて立つ。吽形は腰をやや捻って、顔をやや左に向けて閉口して睨み、拳を握った左腕を下方に突きのばし、右手は屈臂して胸下の高さで掌を開いて正面に向ける。脚を開きて立つ。二王像の形勢としては一般的なものといえる。

 寄木造りで、彫眼、彩色。構造の基本は両像とも主体幹部を前後矧ぎとし、背面に大きく背板状の材を足し、踏み出した方の脚部にも材を足している(頭部と体部の差し込みは未確認)。両腕は肩・肘・手首で矧(は)ぎつけ、足先、天衣(てんね)、髻(もとどり)なども別に矧ぎつけている。構造自体は特別巨像ではないので、いたって平易なものといえる。像の表面は、布貼り下地を施して彩色としている。

 後補部は阿形では両脚部・腰まわりの腰縄・裳の一部、腕の一部、足先、乳首、天衣など。吽形では腕の一部、足先、乳首、天衣などが明らかなものである。両像表面の仕上げ彩色も後補。

 損傷状況は両像とも下半身の損傷、材の腐朽がみられるが、吽形像は比較的健全である。これに対し阿形像は風雪などの影響とみられる面部や耳をはじめとする頭部の傷み、腰回りの造形の補作がみられ、保存状況は吽形に比べ良くない。 

[概要説明・考察]

 本二王像は、蓑毛・大日堂前に立つ仁王門の左右に安置される一対の像で、法量は二王としてはやや大ぶり、中形のものである。

 全体の形勢は、比較的動きの少ないおとなしいものであるが、プロポーションよく整い頭体のバランス、両脚部の開きなども破綻がない。やや大きめの頭部は形良く、耳の表現も丁寧に行き届く。面貌は、吽形像の口をへの字に結び怒りを内に込めた表情や、阿形像の開口怒号の表情が巧く捉えられている。上半身の筋肉表現には過不足がなく、また妙な誇張もみられない。上体を支える下半身も同様で、安定感のある造形をしめしている。

 作風的にみて、本像には鎌倉期の慶派系のような力強い二王以前の穏やかさがみられ、おのずとその制作が、平安後期に遡ることをしめす。作行きもかなり洗練度が感じられ、単に地方作ではなく、中央風に触れた造形をおもわせる。面貌に藤原彫刻としては強い表情がみられ、こうしたことから制作時期は12世紀も半頃かと推察される。

 本二王像と造形の一脈通じる中央作に、京都・峯定寺像[長寛元年(1163)、仏師良元作。像高阿形272.3、吽形275.2]があり、これと近い頃の制作をおもわせる。

 本二王像は藤原期に遡る作例として、その本格的造顕とともに存在極めて重要である。神奈川県下においては、平安期の二王像は横須賀市等覚寺に破損仏状態のものが遺るのみで、他に現在のところ遺例なく、本像が現存最古の本格作例ということになる。これにとどまらず、東国の二王像の遺例としても、福島・法用寺などに続く古像ということが出来その存在は彫刻史上、重要である。また、この像の存在は、秦野地域の古代史にとっても今後重大な意義を持つものとなろう。

このページに関する問い合わせ先

所属課室:文化スポーツ部 生涯学習課 文化財・市史担当
電話番号:0463-87-9581

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