米倉丹後守一族の墓地
問い合わせ番号:10010-0000-2223 登録日:2018年2月3日
市指定の史跡
- 米倉丹後守一族の墓地(よねくらたんごのかみいちぞくのぼち)
- 昭和43年指定
概要
秦野市堀山下にある蔵林寺には、江戸時代の大名米倉氏の墓所があります。現在も初代から15代までの当主一族の墓石20基、石灯籠23基、家老塚1基が残っており、当地には5代昌純と6代昌尹(まさただ)が埋葬されています(他の当主は墓石のみで埋葬は他の寺)。
最も古いと思われる墓石は、元禄5年(1692)、昌尹が建立した初代重継※1と2代忠継の墓石です。昌尹は、祖父清継が徳川家康から賜った領地が堀山下村にあることから、同村の蔵林寺を菩提寺とし、ここに墓所を設けたとみられます。
※1 米倉家系図では、戦国時代、長篠の戦で戦死した重継を初代としています。
米倉氏
米倉氏は、甲斐国(山梨県)の出身で、八代郡米倉郷(笛吹市)の地名から米倉姓を名乗ったとされています。戦国時代、武川(北杜市)の国衆として甲斐武田氏に仕えていましたが、武田氏滅亡後、徳川家康に召し抱えられました。天正18年(1590)、家康の関東入国の際、米倉清継は堀山下村内に二百石の領地を賜っています。
清継の孫の昌尹は、将軍綱吉の時代、幕府の要職を務め、元禄3年(1690)従五位下丹後守に任ぜられました。元禄9年(1696)には若年寄になり、武蔵国、上野国などに領地を賜り、旗本から一万石の大名となりました。さらに元禄12年(1699)、相模国や武蔵国、下野国などに領地を賜り、下野皆川藩一万五千石の藩主となりました。この時の秦野市内の領地は、堀山下、菩提、羽根、渋沢村などです。その後、米倉氏は陣屋を武蔵国久良岐郡(横浜市金沢区)に移し※2、金沢藩(六浦藩に改称)藩主となっています。
※2 この時の当主忠仰は、柳沢家からの養子で、将軍綱吉の側近であった柳沢吉保の六男です。柳沢氏も甲斐国出身で武田氏に仕えており、米倉氏とは姻戚関係を結ぶなど、甲斐在住時代から家同士の深い繋がりがあったようです。
蔵林寺
蔵林寺は、亨徳年間(1452~1455)に瑞秀祥禎和尚によって四十八瀬川上流の堀山下村寺屋敷の地に開かれ、文明年間(1469~1487)に現在地に移ったと伝えられています。米倉昌尹が米倉家の菩提寺として、寛文13年(1673)に本堂庫裡を再建し、宝暦11年(1761)、昌晴がさらに本堂を再建しています。
MAP
所在地
秦野市堀山下1153
交通手段
- 神奈川中央交通バス「渋沢駅北口」バス停乗車、「堀川経由大倉」行き(渋02)で「蔵林寺」バス停下車 徒歩3分
地図情報
米倉丹後守一族の墓地
秦野市堀山下1153
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