絵図から見る江戸時代の千村!!
問い合わせ番号:10010-0000-2257 登録日:2014年4月15日
江戸時代の「千村の絵図」から当時の村の様子を想像してみませんか !!
この絵図は、本町の関口克巳さん宅で大切に保管されていたものですが、秦野市に寄贈していただきましたので、皆様に御紹介させていただくことにいたしました。
この絵図の中には、
辻彦三郎知行所
相模国大住郡千村
鵜殿藤助知行所
同 同村
東西七町三拾間
南北七町五間
菖蒲村境 四拾八瀬川流境 堀村境 澁澤村境 澁澤村峠境 篠久保村境
神山村境 瀧坂 松田村境
などの表記が有ります。
絵図の中央部には「白山神社」と「泉蔵寺」と思われる建物が描かれており、篠久保村境に描かれている丸い形の山は「頭高山」と思われます。神山村境には、「神山滝」と思われる描写もあります。
この絵図の右下には、この地を治めていた知行「辻彦三郎」「鵜殿藤助」の名と「相模国大住郡千村」と記されています。
千村は当初幕府直轄領と旗本鵜殿領の二給でしたが、慶長6~7年(1601~02)に旗本鵜殿領・辻領の二給となり、明治維新まで続きました。江戸時代には、代々同じ名を名乗ることが多かったため、残念ながらこの絵図の製作年代が江戸時代前期から明治維新頃までの期間の、どの時代のものかは分かりません。
「新編相模国風土記稿」(1841年)の時点では「今地頭辻久五郎鵜殿藤助」と記載されています。
この絵図から当時の集落や家々の所在、道路や寺社など、村の様子がうかがえます。昔の様子を現在の地図と比較してみるのも、おもしろいと思います。
なお、文化財班では、秦野に関する古文書をはじめ、まちの様子が写った古い写真などの資料を集めています。お手元に眠っている資料等の情報がございましたら、御連絡ください。
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