はだの浮世絵コレクション【2022年1月~12月】
問い合わせ番号:16406-6527-0683 更新日:2022年12月13日
「はだの浮世絵ギャラリー」では、秦野市が寄贈を受けた浮世絵1,904点を順次、展示しています。
より多くの皆様に、この浮世絵という貴重な文化芸術資源を知っていただくため、「はだの浮世絵コレクション」と題して、「広報はだの」とともに浮世絵作品紹介をしていきます。
「千代田之大奥 御煤掃」揚洲周延
解説
揚洲周延は、幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師で、新しい洋風の生活の風俗画や美人画も多く描き、人気を博しました。
明治30ねんごろには、江戸時代には知ることのできなかった千代田城(江戸城)大奥の行事や、奥女中たちの生活を描いた大判三枚続きの浮世絵「千代田之大奥」を手がけました。
大奥でも、一年間の煤(すす)や穢(けが)れを払い清める煤掃が行われました。
中央の助成がほうきを持つ右側の女性に何やら指示をしている後ろで、胴上げをしている女性達が描かれています。新しい都市を明るく清らかな心で迎えるため、煤掃の後に胴上げをする面白い風習があったようです。
※広報はだの令和4年12月1日号に掲載予定でしたが、諸事情により見送りました。
「当盛十花撰 牡丹」三代歌川豊国・歌川広重
解説
この作品は、牡丹を広重、役者を三代豊国が描いた合作で、安政5(1858)年に制作されました。当時の人気役者を、牡丹の花に見立てたものです。「十花撰」とあるように、十枚組の揃物の内の一枚です。
描かれている役者は右から十三代目市村羽左衛門、四代目市川小団次です。羽左衛門は当時まだ十五歳。後に五代目尾上菊五郎と改名し、明治歌舞伎を代表する役者になりますが、この絵では、蛍を入れた虫籠を大切そうに提げています。一方、小団次は四十七歳。安政五年の役者評判記では立役巻軸に据えられる大立者です。手にする団扇には「引つめてはなちそふなるかゝしかな」という句と稗蒔(ひえまき)の画が描かれています。
稗蒔とは水盤の中に水を含んだ綿を置き、そこに稗や粟の種子をまいて発芽させ、その芽の緑を観賞する盆栽です。芽を青田に見立ているとわかると鷺が描かれる理由もわかり、その左の物体が蓑笠をつけ、弓を引くかかしであるとわかります。句はまさにその風景です。役者の日常の風雅さが牡丹の花と重なります。
文:加藤次直(東海大学)
令和4年11月1日号掲載
「見立三十六句撰 八郎ためとも」三代歌川豊国
解説
見立三十六句撰は、歌舞伎の名場面を描いた揃い物で、画面の上部には、江戸時代の著名な俳諧師松尾芭蕉の一門などが詠んだ句が添えられています。
「八郎ためとも」とは、八幡太郎源義家のひ孫で源頼朝の叔父である源為朝のことで、巨漢で強弓を巧みに使って軍船を沈めるほどの剛の者として知られています。
大蛇を矢で仕留めたり、妖賊を退治したりといった為朝の活躍をもとに、曲亭馬琴の読み本『椿節弓張月』が著され人気を博しました。
上部には、「なむのその巌も通す桑の弓 大高子葉」と詠まれた句が記されています。
大高子葉とは、旧赤穂藩士・大高源五のことで、呉服商として身分を偽った大高は宝井基角に俳諧を学び、吉良家の茶会の日にちを知ることで主君の敵を討つことができました。儀式用の桑の弓であっても、強い気持ちがあれば巌を通すという句から、赤穂義士の忠義の信念が連想されます。
令和4年10月1日号掲載
「東都名所 道灌山虫聞之図」歌川広重
解説
秋の夜長に鈴虫や松虫、きりぎりすなどが奏でる鳴き声をめでる「虫聞き」は、江戸時代の風物詩であり、俳句や詩歌を吟行するなど風流な遊びでもありました。
虫聞きの名所として知られた道灌山(どうかんやま)は、現在の東京都荒川区西日暮里あたりの高台で、日光、筑波の山々まで見渡せる景勝地でもあり、江戸っ子の憩いの場所として有名でした。
四季折々の江戸の名所を手掛けた歌川広重ですが、夕方の空が暗くなり始め、上がってくる大きな月を待ちわびながら月見酒を楽しんでいる人たちや、子どもが母親に虫かごを見せている親子のほほえましい様子など、広重のあたたかい目線でとらえた人物が描かれた情景となっています。
令和4年9月1日号掲載
「吾妻源氏放生会の図」三代歌川豊国
解説
旧暦の8月15日には、亀や鳥など、捕らえた生き物を解き放って自然に返す「放生会」(ほうじょうえ)という行事がありました。
「放生会」は、仏教の戒律の「殺生戒」を元にした儀式として行われていましたが、江戸の町では寺社の境内や、川近くの露店や行商人から亀や雀などを買って、川や空中に放してやりました。
生き物を逃がすという良い行いをして徳を積み、商売繁盛や家内安全などの御利益を期待する庶民の娯楽として行われるようになりました。中には、現在では高級な「放し鰻」もあったようです。
令和4年8月1日号掲載
「山海めでたい図会 十九 播州高砂蛸 はやくきめたい」歌川国芳
解説
「山海愛度(めでたい)図会」は、タイトルを「~たい」という語尾で統一した美人画です。この「はやくきめたい」という作品には、若い女性が熱心に占い札らしきものを見ている様子が描かれています。島田髷に鹿の子の飾りをつけ、青いかんざしや櫛などを挿し、白い花があしらわれた渋い青地の着物に赤い帯、白と赤の裏表に青い花柄の茶色の重ね襟と黒の掛け襟が粋でおしゃれな装いです。
猫好きで有名な国芳ですが、このように美人のそばに戯れる猫の姿も多く描いています。「山海愛度図会」は、各地の名産品を紹介するシリーズものでもあり、女性の後ろにあるコマ絵という小さい枠には、国芳の娘(とり女)が播州高砂の名産・蛸漁の様子を描いています。
令和4年7月1日号掲載
「名所江戸百景 目黒元不二」 歌川広重
解説
日本で一番高い山である富士山は、ユネスコ世界遺産委員会によって「富士山ー信仰の対象と芸術の源泉」として平成25年(2013年)に世界文化遺産に登録されました。
富士山は古くから信仰の対象である、江戸でも身近な存在でした。6月1日には富士山の山開きが行われ、江戸時代後期には、集団で富士に登拝する「富士講」が流行しました。
女性や体力に自信のない人でも、富士山に登ったと同じ御利益を得ることができるように、富士塚と呼ばれる人口の山が江戸の各所につくられました。
この「目黒元不二」は、約12メートルほどの高さで、山裾にある大きな松の木が有名でした。山頂には素晴らしい眺望が広がり、富士山とともに「大山詣で」でにぎわった丹沢山塊も望むことができたそうです。
「名所江戸百景」のシリーズは、全部で120枚の揃い物で、風景画を確立させた歌川広重の集大成ともいえる作品です。風景だけでなく、幕末の江戸の動乱を感じさせないゆったりとした日常が描かれています。
令和4年6月1日号掲載
「木曽街道六十九次之内 板鼻 御曹子牛若丸」 歌川国芳
解説
江戸後期の浮世絵師・歌川国芳は、美人、役者、風景、風刺など多彩な作品を描いています。中でも「武者絵の国芳」と称されるほど、勇敢な武将や三枚続きの迫力ある画面は人気を集めました。
「木曽街道六十九次之内」は、目録を含めて72枚からなる揃い物です、街道の地名にちなんだ人物や物語が、ユーモアや遊び心を持って描かれています。
「板鼻 御曹子牛若丸」は、鞍馬山に預けられていた源義経・幼名牛若丸が、夜になると武芸の修練に励んだという逸話をもとに、烏天狗との剣術の稽古をしている場面です。
稚児輪にたすき掛けの牛若丸は、幼いながらも気品ある姿です。一方、倒れている烏天狗たちはいずれも鼻を手で押さえており、「痛!鼻」ということから地名の「板鼻」を連想させます。外題の周りには天狗の持つヤツデの葉の形をした団扇が添えられ、左上のコマ絵といわれる宿場の町の図も同じ団扇の形になっているところに細かい演出が見られます。
令和4年5月1日号掲載
「(八犬伝・芳流閣)」 三代歌川豊国
解説
江戸時代の戯作者・曲亭馬琴(きょくてい・ばきん)が著した『南総里見八犬伝』は、文化11年~天保12年(1814年~1841年)の長きにわたって刊行された98巻106冊という大作です。馬琴は長年の執筆により失明してしまい、長男の嫁・お路に口述筆記させるなど、苦労の末76歳の時についに完成させました。
物語は、安房・里見の伏姫の持つ数珠の玉がはじけ飛び、「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」のそれぞれの玉を持つ勇士(八犬士)が登場し、バラバラとなっていた八つの玉が集まり、里見家のために活躍するというあらすじです。
画面は、芳流閣の大屋根の上で、向かって右は犬塚信乃、左は犬飼現八が決闘している名場面です。互いを八犬士とは知らずに、宝刀・村雨丸とめぐって戦っています。「芳流閣の決闘」は歌舞伎でも人気ですが、提灯に照らされる中、宙返りをして倒れる捕り手の姿も描かれていて、臨場感にあふれた迫力ある舞台の様子が伝わってきます。
令和4年4月1日号掲載
「雪月花之内 はな(源氏絵)」 三代歌川豊国(歌川国貞)
解説
『源氏物語』は、平安時代に紫式部が描いた長編物語ですが、浮世絵の「源氏絵」は、柳亭種彦の『偐紫田舎源氏』を題材にしています。『偐紫田舎源氏』は、「源氏物語」を翻案し、三代歌川豊国(歌川国貞)が挿絵をつけ、38編が刊行されました。
物語は室町時代に置き換えられ、「光源氏」ではなく、第8代将軍足利義政の息子「足利光氏」が、原典の『源氏物語』に沿った女性たちと浮名を流しながら、お家騒動を解決していくというあらすじです。
物語の名場面を浮世絵にするのが流行し、「源氏絵」というジャンルが生まれ、源氏絵に出てくる着物や、海老茶筅と言われる髷も流行しました。物語は贅沢を禁じる天保の改革により絶版となりましたが、この源氏ブームは幕末まで続きました。
この作品にも光氏と思われる人物や、桜の花の咲き誇る美しい庭で花見を始めようと縁台を準備している様子などが描かれています。
現代のお花見と変わらず、楽しそうな雰囲気が伝わってくるような華やかな作品です。
令和4年3月1日号掲載
「東海道五十三次 藤川」 歌川広重
解説
保永堂版「東海道五十三次之内」が出版され、大成功を収めた歌川広重は、風景画を確立し、生涯で20種類以上の東海道五十三次のシリーズを手掛けました。
この作品は、画面に狂歌が添えられていることから、通称「狂歌入東海道」と呼ばれています。大判の半分のサイズで、小さいながらも穏やかな画面に人物や名所、名物が盛り込まれ、旅への期待や憧れを強く抱かせた広重ならではの情景が展開されています。
保永堂版では、蒲原宿の黒い背景に白い雪が積もり、旅人の足跡が描かれた夜の雪の風景が有名ですが、この「狂歌入東海道」シリーズでは、三嶋と藤川の二宿が雪景色となっています。
黒い闇に深々と降る白い雪の静寂な世界が展開される藤川宿の風景ですが、御油、赤坂に続く宿場であることから、旅人を宿泊させようと袖を引っ張っている様子がうかがえる「行過る旅人とめて宿引きの 袖にまつはるふぢ川の駅 常盤園繁躬」という狂歌が詠まれています。
令和4年2月1日号掲載
「冨嶽三十六景 江都駿河町三井見世略図」 葛飾北斎
解説
葛飾北斎の「冨嶽三十六景」は、世界に影響を与えた浮世絵風景画の名作です。北斎は90歳まで長生きし、生涯にわたって活躍しました。この作品は描いたのは72歳頃とされ、はじめは36図の予定でしたが、評判が良かったので10図増え、全部で46図が出版されました。
三井見世(越後屋呉服店)は、江戸日本橋界隈の駿河町に「現金掛値無し」を看板に掲げ繁盛しました。その店の大きな屋根の間の藤さんは、通りの奥に白い頂のある凛とした姿で描かれています。藍色の一文字ぼかしが引かれた上空には、「寿」と書かれた凧が高々と揚がり、屋根の上で作業している瓦職人の躍動感あふれる姿との相乗効果で、空の高さがより一層強調されています。画面を彩っているのは、その当時輸入され流行した化学染料「ベロ藍」(プルシアン・ブルー)で、ぼかしに藍色を使った鮮やかな色合いが印象に残る作品です。
令和4年1月1日号掲載
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