はだの浮世絵コレクション【2021年5月~12月】
問い合わせ番号:16708-0270-9240 更新日:2022年12月13日
「はだの浮世絵ギャラリー」では、秦野市が寄贈を受けた浮世絵1,904点を順次、展示しています。
より多くの皆様に、この浮世絵という貴重な文化芸術資源を知っていただくため、「はだの浮世絵コレクション」と題して、「広報はだの」とともに浮世絵作品紹介をしていきます。
「暦中段尽し 意勢固世見十二直 取 極月の餅搗」 三代歌川豊国
解説
「意勢固世見」は伊勢暦をもじったもので、「十二直」は、その運勢暦の中段に書かれることから「中段」と呼ばれ、暦に記載される日時や方角などの吉凶を記したものを指しています。十二直には、建(たつ)・除(のぞく)・満(みつ)・平(たいら)・定(さだん)・執(取)(とる)・破(やぶる)・危(あやふ)・成(なる)・納(おさん)・開(ひらく)・閉(とづ)があり、「直」は「当たる」という意味で、よく当たる暦注だと信じられていたようです。
極月(ごくげつ)とは、旧暦の12月のことで、年の極まる月という意味です。この作品は、年の瀬に正月の餅をついている様子を描いています。たすきがけ姿の女性は、つき終わった大きな餅を二つに分けて鏡餅を作っています。その後ろでは稚児輪に結った紙の女の子が、楽しそうに小さく丸めた餅を木の枝に刺しています。画面の左上には、杵や臼、かまどや蒸し器などの餅つきの道具が描かれ、現代に伝承されている正月を心待ちにしている様子が見て取れます。
令和3年12月1日号掲載
「市川団十郎園芸百番 五 暫」 豊原国周
解説
「このヘビメタみたいなやつかっこいい!」現代の学生もこの絵はかっこいい!と思うようです。普通の人ではない存在。ただし悪魔というよりは荒ぶる神。悪いやつらから助けてくれる、強くてかっこいい!存在。そう、大魔神や仮面ライダーのような存在です。
昭和の仮面ライダーといえば、子どもの頃、疑問がありました。女性やこどもをさらっていこうとするショッカーの戦闘員に、なぜ仮面ライダーが「待てぃ」と声をかけるのか、そしてなぜショッカーは待つのだろうかというものです。七代目団十郎が天保年間に市川団十郎家代々の当り狂言を歌舞伎十八番として選定した中に「暫」は入っています。今にも処刑されそうな無実の人たちを救うために「しばらく(待て)、しばらく(待て)」と言って登場し、彼らを助け出します。仮面ライダーが昭和の子どもたちを熱狂させたのは、「暫」という江戸から続く伝統に根ざしていたからではないでしょうか。
「市川団十郎園芸百番」は劇聖と謳われる九代目市川団十郎の演じた様々な役を描いた役者絵の続物で、「五 暫」の「五」とはこの作品がシリーズの五番目であることを示しています。出版円は明治27年(1894年)。板元は、福田熊次郎。彫師は二世渡辺彫栄です。なお、勝海舟・山岡鉄舟とともに幕末の三舟と称された高橋泥舟による書が掲げられています。
令和3年11月15日号掲載
「九代目市川団十郎の平井保昌・四代目中村芝翫の袴垂保輔」 揚州周延
解説
平井保昌と袴垂保輔は、『今昔物語集』などの説話に登場する人物です。笛を吹きながら歩いている保昌を見つけた盗賊保輔が着物を奪おうとしますが、少しも隙が無いので手が出せなかったという場面を描いています。
この作品は団扇絵と呼ばれるもので、団扇に貼って使う用途で制作されました。消耗品のため敗れてしまえば張り替えてしまうので、使い捨てられ残ることの少ない団扇絵ですが、葛飾北斎、歌川広重などの著名な浮世絵師も手掛け、美人画やお気に入りの役者の舞台姿、四季の風物など、いろいろな絵柄が描かれました。
手に持つ団扇は、風を送るだけではなく、涼しさや華やかさを演出するための必須アイテムでもありました。団扇は実用品ですが、その小さな画面から江戸の粋や遊びなどを感じることができます。現代でも、好きなアイドルの団扇を使って応援する姿が見られるなど、多くの人に使われている団扇は、その用途も多様化し親しまれています。
令和3年10月1日号掲載
「市川団十郎演芸百番 花川戸助六」 豊原国周
解説
「市川団十郎演芸百番」は、九代目市川団十郎の百図からなる役者絵です。
この作品は、江戸歌舞伎の代表である市川団十郎家に継承された「歌舞伎十八番」の「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」の主人公である花川戸助六を、「明治の写楽」と称された豊原国周が画面いっぱいに上半身を描いています。
江戸一番の伊達男・助六が、遊女に煙管(きせる)を次から次へと手渡され、両手に持ちきれないほどになっている場面で、「煙管の雨が降るようだ」というセリフが有名です。頭には紫の鉢巻きをきりりと締め、黒色の衣装に襟、袖などからのぞく鮮やかな赤色が映え、江戸っ子好みの粋な装いをしています。
秦野は、江戸時代から葉タバコの産地として知られ、タバコ耕作者を慰労する祭として始まった「秦野たばこ祭」は、市最大の観光祭として開催されてきました。コロナウイルスの影響により二年続けて中止となってしまいましたが、「たばこの文化」は、浮世絵の役者絵、美人画、風景画の中にも見ることができます。
令和3年9月1日号掲載
「名所江戸百景 神田紺屋町」 歌川広重
解説
「名所江戸百景」は、「東海道五拾三次之内」のシリーズでおなじみの歌川広重が、安政3年(1856年)頃から没するまで描き続けた集大成といえる作品です。「百景」としていますが、目録と弟子の作品を合わせて120図の大作となっています。
この作品のタイトルにある紺屋(こんや・こうや)とは、藍染め職人のことでしたが、江戸時代には染物屋のことを読んでいました。神田には染物職人が集まり、愛染川で浴衣や手拭いなどの染物を洗い流し、屋根の上の干し場で乾燥させていました。
東京2020オリンピック・パラリンピックのエンブレムに使われている和の雰囲気に満ちた日本の伝統的な市松模様や、「魚」は版元の魚屋栄吉の「魚」や広重の名前の「ヒロ」を菱形にしたデザインなどの染物が青い空にたなびいている景色は、風情にあふれています。その間には緑に囲まれた江戸城と富士山が描かれ、江戸を代表する名所や名物、文化などがしのばれる作品です。
令和3年8月1日号掲載
「吾妻美人ゑらみ 松葉屋内 喜瀬川」 喜多川歌麿
解説
絵師、彫師、摺師の一流の技術がつまった江戸美人
喜多川歌麿は、寛政3年(1791年)頃から、当時役者絵に使われていた「大首絵(おおくびえ)」の形式を美人画に取り入れ、大変人気となりました。
歌麿はそれまで全身像を描いていた美人画に、画面いっぱいに上半身を描く「大首絵」を取り入れることにより、顔だけでなく姿や境遇、喜怒哀楽の心情までも描き分けました。
燈籠鬢(とうろうびん)に大きな島田髷(しまだまげ)を結い、大きな櫛(くし)や簪(かんざし)を何本も挿しているこの女性は、江戸吉原の松葉屋の喜瀬川です。
季節は暑い夏と思われますが、少しはだけた襟元に団扇を当てるしぐさは、いかにも涼しげです。髪の毛の生え際まで細かく表現する彫の技法を『毛割(けわり)』といいますが、歌麿の描く女性には、襟足のおくれ毛や額の生え際まで、絵師は勿論のこと、一流の彫師、摺師の技術が使われています。
令和3年7月1日号掲載
「江戸名所道化尽 十九 大橋の三ツ股」 歌川広景
解説
江戸っ子の遊び心が満載
歌川広重の門下とされる歌川広景の代表作「江戸名所道化尽」は、50図から成る幕末の江戸の名所絵です。広景の風景画には、おかしな格好や滑稽な描写の人物が登場し、思わずくすっと笑ってしまう面白さから、江戸っ子の遊び心が満載です。
隅田川にかかる大橋(両国橋の元々の名前)の上から、赤い褌(ふんどし)一丁の男たちが、暑さのあまり川の中に次々と飛び込み、売り物のスイカを積んだ下の小舟に激突し、今にも転覆しそうです。スイカ売りの驚いた表情や叫び声、水しぶきの音などが画面を飛び出して聞こえてくるかのようです。
令和3年6月1日号掲載
「当盛十花撰 牽牛花」 三代歌川豊国・歌川広重
解説
『当盛十花撰』は、その腕前から「人物の豊国」、「風景の広重」と称された、三代歌川豊国と歌川広重が分担して描いています。
嘉永6年(1853年)発刊の江戸の著名人や名物を位置付けした【江戸寿那古細撰記(えどすなごさいせんき)】に、「豊国にかほ(似顔絵)、国芳(武者絵)、広重めいしょ(名所絵)」と記されているように、人気絵師が贅沢なコラボレーションをしています。
この作品は、当時の千両役者たちをブロマイドのように描いた三代豊国による人物と、花鳥画も盛んに描いた広重による牽牛花(朝顔)が大きく背景に配置され、双方の筆力が見る者を引き付け、強い印象を与えています。
朝顔は奈良時代に薬用植物として唐から伝来し、種子を漢方薬として服用していたようです。中国では種子のことを、牛に引かせて売り歩いていたので、「牽牛子(けんごし・けごし)」と呼んでいました。朝顔の花は、「牽牛子」の花ということで、「牽牛花(けんぎゅうか)」とも呼ばれ、江戸時代には、夏の涼を呼ぶ観賞花として愛好されました。
令和3年5月15日号掲載
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