衣生活
問い合わせ番号:10010-0000-4149 登録日:2012年2月7日
農家の仕事着
昔の女の人は、仕事着として一重の長い着物を腰ではしょり、まるみをつけた着物の袖にたすき掛けをしたのが一般的で、若い人は赤いのを、年寄りは青とか黒いものを使いました。
また、頭には、ふつう手拭いをかぶっていましたが、夏場だけは男女そろって麦わら帽子をかぶりました。それより前には「ぼっちがさ」という、ひも付きの帽子をかぶって野良仕事をし、腕には黒色の腕ぬき(腕の周りにはめるもの)をしました。前掛けも膝下までの長めのものをかけ仕事をしました。
男の人は、着物を短くしたような作業着に木綿で作った、ももひきを履きました。
晴れ着
昔は晴れ着というものは特別には作りませんでしたが、新しい着物は盆や暮れに作りました。しかし、毎年作るようなことはなく、作る時は生地は木綿を使って作りました。婚礼の晴れ着は、花婿は紋付羽織・袴でしたが、花嫁は時代や家庭によって違ってきています。
履物・かぶり物・髪形など
一般に履物は、わら草履、下駄、地下足袋などで、わら草履は近く、わらじは遠くに行く時に履きました。日常のかぶり物は、手拭い、すげがさ、麦わら帽子などで、雨が降った時には、雨具としてみのをつかいました。
また、髪形は、男の人は丸刈りで、女の人は、子どもの頃はおさげにしていましたが、結婚してからは「引っ詰め」(髪を後ろで束ねて結わえた形)にし、正装する時は「丸まげ」に結いました。
着物の手入れと織物機械
よそ行きの着物を手入れするには、夏場に取ったタマムシを入れたり、土用干しといって、夏の土用の日前後に家の中で干したりして、きちんとたんすにしまっておきました。仕事着は、柳ごうり(こり柳という柳の一種の枝を編んで作ったもの)に入れておき、わら草履やわらみのは、濡れたままにしておくと腐るので、家の中に吊しました。
ほころびた着物は繕いました。当時、裁縫は嫁入りに必要なもので近所のお針の先生の所に習いに行きましたが、明治・大正のころになると奉公に出る人や紡績工場などに働きに出る人もあり、習う人が少なくなってきました。
また、明治の頃には、どこの家にも「はたち」と呼ばれる機械があり、機織りをしていましたが、次第に反物(約1.6メートルずつに切ってたたんだ織物)を買う人が多くなり、大正の末頃にはほとんどの家で使わなくなってしまいました。
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